「写真の起源 英国」展

カバと、比田井先生のポスター.....ではなく
比田井先生と、写美の「写真の起源 英国」展のカバのポスターです。
大変ご無沙汰しております、さくらでございます。
Facebookに移って以来、こちらは空家で恐れ入ります。

東京都写真美術館の「写真の起源 英国」展へ土曜日に行って参りました。18世紀に写真が発明された頃からの貴重な資料や作品がたくさん展示されていました。

東京都写真美術館
「写真の起源 英国」展

開催期間:2019年3月5日(火)〜5月6日(月・振休)
休館日:毎週月曜日
(4月29日(月・祝)、5月6日(月・振休)は開館)
 
 
今では写真も身近になりました。撮るのにカメラも要らず、見るのに印画紙に焼く必要もありません。便利なのだけど、何かが抜け落ちてしまったような空虚を時々感じます。この感じ、何処かで憶えがあるなと考えてみたら、小林秀雄さんが以前「文学界」で『言葉』について書いておられたのを思い出しました。とても素敵な文章なので、転載します。
 
「昔、言葉が、石に刻まれたり、煉瓦に焼きつけられたり、筆で写されたりして、一種の器物の様に、丁寧な扱ひを受けてゐた時分、文字といふものは何んと言ふか余程目方のかかつた感じのものだつたに相違ない。今、さういふ事を、鉛の活字と輪転機の御蔭で、言葉は言はば全くその実質を失ひ、観念の符牒と化し、人々の空想のうちを、何んの抵抗も受けず飛び廻つてゐる様な時代に生きてゐる僕等が、考へてみるのは有益である。読者の思惑なぞは一切黙殺して自足してゐる様な強い美しい形が、文学に現れるのがいよいよ稀れになつた。この様子で行くと、文学は、読者の解釈や批判との紛糾した馴合ひのうちに悶絶するに至るだらう。」
(『ガリア戦記』小林秀雄 1942.5月「文学界」より)
 
 
今は、何でも情報をネットで流そうとする時代。洪水のように言葉も画像も流れて、消費されるばかりになりました。
 
私が古典技法を好きなのは、そこに昔の人たちが注いだ命や人生を感じるからなのでしょう。「写真」を生み出そうとした彼らは、多くの毒物を利用しました。物質の正体も写真の原理も不確かだった頃、失明する人も、命を落とす人もいました。そして、それでもなお進もうとした研究者や表現者たち。
 
彼らが命懸けで残した技術の恩恵と情熱に、感謝せずにはいられません。手作りの写真、それは彼らの「魂」そのものです。そんな歴史が詰まった、とても貴重な美しい作品の実物が、イギリスから東京都写真美術館に集まっています。
 
素晴らしい展示です。是非、観に行ってみて下さい。
 
 
さくら 拝
 
 

2019年 4月 18日


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