青に魅せられて
 窓社の雑誌『フォトプレ』の創刊号から四回にわたって、「比田井一良のプリントワーク 私の萩原朔太郎」という題で連載をする機会をいただいた。発表されてからすでに時間が経過しているので、テキストと写真を1枚掲載する。その他の写真は フォトプレ誌 をご覧頂きたい。
 

 
 
<第一回> 青に魅せられて

 詩人、萩原朔太郎(1886〜1942)は、立体写真とサイアノタイプを楽しんでいた。もちろん余技であろう。詩人はその他にもギターやマンドリン、手品などいろいろな余技を楽しんでいた。
 立体写真はステレオスコープを「覗き込む」個人的な、閉じた世界であり、そこに他人が入り込む回路は絶たれている。スコープを覗いているのを不意に娘に見られバツの悪い様子だったというのも、秘密の世界を見つけられたきまりの悪さのようなものだったのだろう。これに対してサイアノタイプは、余技とはいえ「作品」といえる開かれた形で私たちに遺されている。
 言うまでもなく「青」は朔太郎のキーワードのひとつであり、カメラを手にした詩人がサイアノタイプに興味を持ったのはきわめて自然な成り行きといえるだろう。

  ふらんすへ行きたしと思へども
  ふらんすはあまりに遠し
                  『 純情小曲集 / 旅上 』

 この有名な二行の詩句の背景色も青である。ほぼ同時代の永井荷風(1879〜1959)が、父の命に添う形とはいえアメリカ経由でフランス行きを果たしている。荷風と同様に経済的に裕福な家庭に育った朔太郎にとって、現実のフランスは決して遠い国ではなかったはずである。
 ここでのふらんす(=巴里としておこう)は、マルコ・ポーロなら「この地上にあらざるべき至上の都」とフビライに報告したであろう架空の都である。現実のフランスは薔薇色の花の都であり、架空のふらんすはノスタルジーに染め上げられた青き都なのだ。
 朔太郎にとって「ノスタルジー」がどんなものであったかは、彼自身繰り返し語っているが(たとえば飯沢耕太郎著『「芸術写真」とその時代』の「“郷愁”の距離」を参照いただきたい)、ここではそれが青い色をしていたことだけを確認しておこうと思う。そのことによって朔太郎にとっての「青」は特別な色になる。

  ゆびとゆびのあいだから、
  まつさおの血がながれてゐる、  
                  『 月に吠える / 殺人事件 』

 「青い血」は、漢語では「青血(セイケツ)」生血や鮮血を言い(其青血以飲天子。その生き血を以て天子に飲ましむ。『広漢和辞典』)、英語では「blue blood」高貴の生まれなどの意味を表す普通の語だが、朔太郎はそれを「まつさおの血」と言うことで、あたかも解剖模型が倒れているような(那珂太郎氏の見解による−朔太郎の生家は医院だった)ある種の滑稽さを伴った不思議なイメージに転換させている。
  私自身がサイアノタイプに興味を持ったのも、朔太郎によってだった。 初めてサイアノのプリントをしたとき、水洗水の中で浮かび上がってくる画像を見ながら思わず『月に吠える』冒頭の「地面の底の病氣の顔」を口にしてしまった。

    地面の底に顔があらはれ、
    さみしい病人の顔があらはれ、
     地面の底のくらやみに、
    うらうら草の莖が萌えそめ、
    鼠の巣が萌えそめ、
    巣にこんがらかってゐる、
    かずしれぬ髪の毛がふるへ出し、
    冬至のころの、
    さびしい病氣の地面から、
    ほそい青竹の根が生えそめ、
    生えそめ、
    それがじつにあはれふかくみえ、
    けぶれるごとくに視え、
    じつに、じつに、あわれふかげに視え。
     地面の底に顔があらはれ、
    さみしい病人の顔があらはれ。


あるいはこの顔は、水洗水に映る朔太郎自身の
顔であったかも知れない。
 

2009年 1月 20日


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