「信州猫町」
<第三回>「信州猫町」
 猫町は突然現れ、そして突然に消える。
私の猫町もまた突現に姿を現したのだった。
 その年、1998年の年末は例年と違いひとりの訪問者があった。それまでの私の正月といえば、故郷信州の低山やせいぜい浅間山程度の山を歩いてひとりで気ままに過ごしていたのだった。その習慣は10年以上続いただろうか。しかしその訪問者は冬山の経験のない人だったので、彼を山に誘うのはやめて、スキーや温泉巡りの正月となった。それはそれで楽しい時間だったが、正月も終わり先に帰るという客人を小諸の駅まで送っていったあと、なんとも中途半端な午後の時間が残ってしまった。冬の陽は早い。今から山歩きをしてもどれほども歩けないし、だいいち、そのための準備もしていなかった。低山とは言っても冬のことだから、侮っていると命にかかわることになるのだ。
 仕方なく、駅前の狭い駐車場に車を押し込んで近くの商店街を歩くことにしたのだが、とりたててなんと言うこともない時間つぶしの散歩のつもりが、歩くにつれて意識がどんどん変化していくのが自分でもわかった。

 冬の夕日を浴びて橙色に染まった寂れた商店街。しかしそれは、往年の栄華と来るべき廃墟化との危ういバランスのうえに立った、息をのむような美しい姿だったのだ。
 なんという美しく切ない輝きだろう。一軒一軒それぞれに個性的でモダニズムの香りを残す商店のファサードを見つめながら、私はことばを失っていた。そしてこの写真を撮ろうと強く思った。それから約二年の間、正月と夏休みや春の連休などの時間は、ほとんどこの撮影に充てた。
 長野オリンピックの前だったので撮影に適した場所が取り壊されることもまだ少なく、歩きまわればそれなりの成果があがった。それでも、気に入った場所を見つけ、季節や天候、時刻などを変えて再撮影に出かけたものの、更地を前にして愕然とすることも何度かあったし、江戸時代からあったであろうと思われた風格のある土蔵が瀟洒なイタリアンレストランに変貌しているのを目の当たりにして、茫然と立ちつくしたこともあった。
 そんな時失望と同時に、私の中を責任感のような、幸福感のような、今まで経験したことのない奇妙な感覚が走った。たとえそれが平凡な風景であろうとも、今、この場所で、この風景を撮影しているのは私だけなのだ、という「自負」のようなものだった。そして、いま私は歴史の現場に立っているのだという思いに、私は熱くなった。楽しい夢のような日々は、数えてみれば延べ日数にして三週間にならない程度だった。

 そうやって撮影し、帰京してプリントすることは、それ自体が純粋な楽しみだったから、「発表」ということは頭の中に片鱗もなかった。私にとって長野は生まれた町ではあったが、育った町ではなかった。だから親戚はいるが幼なじみはいない。地名や方言も「知識」として知っているだけで、私と長野とは、いわば予め失われた故郷とも言うべき不安定で不可解な関係なのだ。だから信州の町をあちこち巡っての撮影は、その謎解きにも似たスリリングで楽しい作業だった。

 ある日、ちょっとしたトラブルが原因で思わぬ出会いに巡り会い、個展をやることになった。ここでもまた猫町への入り口が開いたのだろう。仕事上、多くの写真展を見たり関わったりして楽しんできたが、自分自身の写真展など考えたこともなかった。ただ、職場の女性プリンターがそれまでに何回か個展をやっていたことは心のどこかでプレッシャーになっていたのかも知れない。また、グループ展に数回参加したこともひとつのステップとしてハードル低くしたのかも知れない。
 しかしそうはいっても個展は一大事業である。なにしろ初めてのことの連続だから、毎日が猫町である。
 写真展の開催を決定してから写真展までの5ヶ月間は、撮影には行かなかった。時間と費用のやりくりの上で不可能だったのだが、そのことが結果的に展示の構成に集中できたのだと思う。今から考えると、その5ヶ月間は人生の中でそう何度も味わうことは出来ないような充実した時間だった。
 
 それまで多くの写真展を見てきて、時々大きな不満を感じることがあった。写真展の会場に入るとただ漫然と写真が並べてあって、そこから何をどう感じて、何を読みとるべきなのか見当がつかないことがしばしばあるのだ。写真に対する私の感受性に何か重大な欠落があるのだろうか、と真剣に悩んだこともあったが、どうもそうではないらしい。何が問題なのか。私の写真展はどうすれば良いのか。考え抜いた。
 結論は、写真展全体にストーリーを持たせることだった。もちろんこのこと自体は別段目新しい方法ではないが、完成度を高めるために虎の威ならぬ猫の威を借りることにした。
 それが萩原朔太郎の『 猫町 』であった。それは、この撮影のはじまりが「猫町」だったことを考えると、これ以上ない最適な方法と思われた。

 具体的な方法として、展示写真の半分ほどに短いテキストを添えようと考えたのだが、写真とテキストのバランスには最後まで悩んだ。もちろんテキストは写真イメージと一体になるものだから、プリントと同様の注意をはらって書いたのだが、テキストの方に費やした時間が圧倒的に多いのは、単に文章力の問題からだけではない。時間的な前後関係から言えば、先にテキストができ、その後でプリント作業に入ったのだから、テキスト作りがプリントのイメージを決定したと言っていいのだ。
 私の場合、大切なのはこの順序である。混沌の状態から、まずことばによるイメージができあがり、そしてプリントができる。理由なくプリントのトーン(濃度/コントラスト/色調/面質など)が決定されるわけではない。

 写真展「信州猫町」開催中に、「比田井の写真は文学的だ」
という評を幾度か戴いたが、私はそのことばを好意的に聞いていた。

2009年 1月 25日


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