本のツン読は文化の敵か
 ツン読というのは、本を買ったきり読まずに積んでおくことで、美人がお澄まして読書するということではないのです。
 私が旧制高校のころだからもうずいぶん昔のことになるが、古書店の店先に「本のツン読文化の敵」という標語が張り付けてあった。本は読んでこそ、読まれてこそ価値のあるものなのだから、あんた読まないんだったら古書店に売りなさい、ということだろう。古書店はそれでこそ商売になるわけだ。

 ところで私はと言えば、ツン読の常習犯である。ただし古書店に対して私は顧客の立場であって古書店の敵ではないので、問題は「私が文化の敵か」という一点に絞られる。
 しかし所詮問題なんて問題を問題として問題にしてしまうから問題が問題になってしまうのが問題なのであって問題を問題として問題にしなければ問題が問題として問題になるような問題は問題として問題にならないわけだ。
 問題の定義をそのように明確にした上で、さて私が文化の敵か?と問われると、自分は文化を脅かすような大物ではないような実感が十分にある。かといって、それでは味方かと問い返されると、私の不在によって文化に欠落が生じるような気配はさらさらない。そこで話を順番に戻して行くと「本のツン読は文化の敵ではない」と言う結論が容易に導き出されるだろう。以上論証終わり。

 現在のところ私の最大のツン読本は定本柳田国男集(全36巻)だ。どう考えても一生のうちにこれを全巻読破することはないだろう。しかし、ここしばらく興味を持っている「境界領域」に関する本には当然民俗学関連のものが多く、読んでいると柳田国男に言及することがしばしばあって、やはり身近に置いておきたいと思う。近くの図書館に蔵書としてあればそれで我慢もするのだが、図書館は夜間利用できないし、残念ながらリクエストも叶えられそうにないので、やむを得ず自分で揃えることにしたのだ。
 町の図書館の守備範囲がどこまでかは、その館によって、また利用者によって考え方がいろいろあるだろうが、少なくともベストセラー本を複数冊購入する予算があったら、こうした基本的なリファレンスの充実に当てるべきだと言うのが私の考えである。ちなみに私が古書店で購入した柳田国男集は、箱の傷みがあったためか、揃いで税別1万5千円という格安のものだった。
 
 
 
『定本柳田國男集』全36巻、柳田國男 著、筑摩書房

2009年 2月 25日


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