凝視 2012年10月04日 | 安井仲治展


「凝視」は松濤美術館での写真展のときには、ネガが同定できずにプリント不可能という結論だった。
その後研究者の方が、この作品が3枚のネガからの合成であることを解明されたので、今回はプリントが可能になった。研究者の方に感謝である。
実際に手順を組んで行くと、人物のスナップから顔の部分だけを強拡大したものに、クレーンの写真3点の合計4枚のネガを合成して行くことになった。それぞれのネガの拡大率の違いと位置合わせのために4台の引き伸ばし機を並べての作業だ。
銀遊堂の暗室には3台の引き伸ばし機が設置してあるが、全部に電源が入るのは始めての事だ。加えて、明室も閉め切って暗室とし、そこに普段使わない引き伸ばし機を組み立てた。
位置合わせと露光時間を決めながらテストをしていると、作家はいったいどうやってこのプリントを作ったのか、という疑問が頭をもたげてくる。私は今、4台の引き伸ばし機を同時に使ってプリントをしているが、作家は多分1台でやったのに違いない。
でも、どうやって?
それは奇跡としか思えない。
天才の技の前に、ただ立ち尽くすのみである。



モニュメント 2009年3月14日 | 安井仲治展


ニュープリントのためのネガ選びをするのは、特権的な体験だ。
ワンショットで決める作家がいる一方で、たくさん撮ってそこからセレクトする作家もいる。特にロールフィルムの場合は、撮影の前後関係や、何カットか撮影する場合の変化の付け方など舞台裏を知ることができ、これは作家の写真術を理解する上で貴重なヒントになる。
プリントのためのネガ選びは、雑誌など残されている印刷物を参照して該当するネガを探し出していくのだが、肝心の該当ネガがなくなっていて前後のネガだけが残されている場合が少なからずあった。おそらく印刷のために提出してそのままになってしまったのだろう。いまからすれば考えられないようなことだが、それが非常識とされるようになったのはそんなに昔のことではない。そんなとき、多少の違いには目をつぶってニュープリントを作るという選択肢もあるのだが、光田さんは厳格だった。たとえわずかでも違いが見つかると、容赦なく却下になった。私などは何度もったいないなぁと思ったことだろう。しかし「アザー」とか「バリエーション」として展示するようなことはしない。作家が選んだカットとは違う、という絶対の基準。その厳格さ、潔さが、仕事の信頼になるのだろう。光田さんはこの展示のキュレーションと論文で倫雅美術奨励賞を受賞している。

「N41 モニュメント」は、そうしたやり取りの中でも忘れられない一枚だ。
光田さんから「このネガです」と渡されたフィルムが、どう考えても印刷物とは違うのだ。「プロポーションが合わないので、撮影角度が違うネガがありませんか?」と聞いても、「間違いない」という返事。仲治展のために組み立てられた引き伸ばし機の前でしばらく腕組みをしてあれこれ考えているうちに、おもわずあっと声を上げた。「デフォルメーション」なのだ。印画紙を傾けて天地方向に長く引き伸している。デフォルメーションは一時代前に使われた技法だという先入観があったので、迂闊にも気がつかなかったのだ。むしろ「N32 海濱」のほうがデフォルメーションのように見えるが、これはストレートだ。私は興奮して電話を取り、事の顛末を連絡したのだが、光田さんは受話器の向こうでまるですべてを知っていたかのように落ち着き払って「そうですか」とだけ言ったように記憶している。

「N13 旗」もそうだったが、仲治は古い技法を使って何食わぬ顔で、とんでもなく新しいことをする。
やはり天才である。



雑巾がけ 2009年3月11日 | 安井仲治展


N1,N2,N3,N4,N5,N6,N7,N8,N9,N10,N13,N14
これらのオリジナルはブロムオイルプリントであることがわかっている。プリントは失われているものの、幸いネガは確認できたのでニュープリントを作ることになった。しかし当時私はブロムオイルをマスターしていなかったし、たとえマスターしていたとしても二ヶ月ほどのスケジュールで12点のブロムオイルプリントは、制作の日程的にも無理があった。しかし普通の銀塩プリントでは到底レプリカは作れない。困った末に窮余の一策「雑巾がけ」での制作を提案し、光田さんに了承して頂いた。
雑巾がけは、写真美術館の金子さんに「日本独自のピグメント印画技法なのでぜひマスターしておきなさい」と言われて独学で習得したのだが、実際に応用することになるとは思ってもみなかった。その頃はまだ植田正治さんが存命中だったのでご指導を仰ぎにいきたかったのだが、私がもたもたしているうちに鬼籍に入られてしまった。かえすがえすも残念なことだ。雑巾がけで作品を作っていた作家は他にも何人もいたのだが、私は誰からも直接指導を受けていないので、正確に言えば技術の継承は一度途絶えてしまったことになる。しかしなるべく多くの現物と資料にあたって研究したので一応の結果は残せたと思う。もともと「雑巾がけ」というひとつの技法があったわけではなく、作家が各人各様工夫を重ねてやっていたものの総称が雑巾がけだ。それを理解した上で自分自身の方法を確立することが大切なので、それでこそ継承と言えるのだと思う。
N5は初期のピクトリアルな作品でブロムオイルの魅力を良く伝えている。N3と共に雑巾がけとのマッチングが一番うまく行った例だ。N7とN8は、ネガとプリントとの差があまりにも大きいので、一度8x10の中間ネガを作ってレンジ合わせをした。その上でN8の画面左側の建物のシルエットなどは顔料で大きくトーンを落としている。これら4点は遺作集にも収録されている代表作だ。印刷物が残されているので、作家がどういう操作をしたのか具体的にトレースができた。可能な限りオリジナルの制作意図に忠実という制作方針を取ったのはいうまでもない。N13とN14はデモに取材した作品で、ブロムオイルを超えてしまった仲治の真骨頂。緊迫した雰囲気を出すという方向性で雑巾がけをするのは緊張する体験だったが、結果は出せたか。

プリントは通常作家本人によるものが最も価値を持つ。回顧展などでは作家が健在であれば本人のプリントで統一できるのだろうが、物故作家の場合には私のようなものがいくつかの穴を埋めることになる。何十年かの時間の経過で環境の変化や技術革新があり、ヴィンテージと同じプリントは物理的に作れないだろう。そんなとき作家本人であれば何をやっても許されるという面があるが、本人でなければかなり慎重な判断が要求される。これでいいのだろうか?これはやっても良いのだろうか?これは本人が望むだろうか?際限のない自問自答が続くが、どこかで答えを出さなければならない。特に今回のように作家とは違う技法を採用するというのは前例を聞かないし、デリケートな問題を含むのでかなり躊躇したが、最終的には展示を諦めるかどうかの二者択一で、結局GOサインとなった。幅広い作風を展開し新しいことに挑戦し続けた仲治は、きっと認めてくれるだろう。いや、むしろ楽しんでくれるはずだ。そう考えて制作に手をつけた。いったん制作を始めれば雑巾がけは、ピグメント印画としては比較的テンポよく仕事ができる。二週間ほど制作に没頭した。

幸い出来上がったプリントはヴィンテージとそれほど違和感なく美術館の壁を飾り、展示期間中にこの技法上の質問を受けることはなかったように思う。
写真美術館の金子さんからは過分の評価をいただいた。
美術館公認の贋作は一応の成果をあげたことになる。

この技法に白石ちえこさんという後継者が現れた。
独自の解釈で雑巾がけを展開する頼もしい存在だ。




   

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