安井仲治展(凡例)ー3 2009年3月02日 | 安井仲治展


 ここで明記しておくが、安井仲治展当時私はラボに勤務していたが、現在は退職している。退職した人間が元勤務していた会社の内部事情について書くことは適当ではないので、そういうことにはいっさい触れずにあくまでも個人レベルのこととして書くことにする。そのため実際のことと若干の齟齬が生じる場合があるかもしれないが、ノンフィクションの基本的なスタンスは崩さないつもりだ。
 展覧会で制作したカタログが共同通信社から「安井仲治写真集」として刊行されていて現在も入手可能なようなので、以後の記述はこの写真集をベースに書き進めていく。図版には出品番号が振られていて、番号の先頭に「N」がついているのがニュープリントである(例えば40ページの「N3 雨もよひ」)。
 制作したニュープリントは現在、松濤美術館と名古屋市美術館に収蔵されている。私の手を離れたプリントが収蔵庫で静かに眠っているのを想像するのは、案外楽しいものだ。


『安井仲治写真集』共同通信社



安井仲治展制作記ー2 2009年2月25日 | 安井仲治展


 さて話はいきなりはじまったのだが、実際のプリントに手をつけるのにはまだまだ段取りが必要だった。まず、最初にやることは調査。今回は松濤美術館の光田さんと共同通信の石原さんと私の3人で、兵庫県立美術館に出かけた。ここには安井仲治の原版やヴィンテージプリントが収蔵されている。この原版とヴィンテージプリントをお借りして展示を構成することになるのだ。
 会社の仕事が終わってから夜の新幹線に乗り新神戸で一泊し、翌朝一番で美術館へ。挨拶も早々に収蔵庫前の作業スペースでガラス乾板やネガのチェックを始める。美術館の中は静かだが活気があり、学芸員の方々は館内にもかかわらず内線ではなく携帯で連絡を取り合っている。美術館は広く、常にその中を動き回っているからなのだろう。収蔵庫には安井仲治をはじめ中山岩太やハナヤ勘兵衛などのヴィンテージプリントが当然のように置かれていて、その豪華さに軽い目眩を覚える。
 我々はヴィンテージプリントに目を通す一方で、ガラス乾板やネガの選別を黙々と進める。確かに、痛みが激しくプリントに適さない物も見受けられた。検討の結果、プリント可能と思われる原版は一度東京に持ち帰り、さらに詳しく調査することになった。と結論だけ書けば簡単だが、その間昼食に外出しただけでずっと収蔵庫に籠りっきりの濃厚なスケジュール。私は最終の新幹線にタクシーを飛ばし(あれ、晩ご飯は?)何とか間に合ったが、光田さんと石原さんはまだ仕事が終わっていなかったようだった。

 東京に帰ってからの一番の問題は、硝酸セルロースフィルムの扱いだった。
硝酸セルロース(セルロイド)はもともと可燃性の物質なのだが、酸素を含んでいるため一度引火すると消火ができない。そのうえ経時変化で加水分解を起こし、フィルムは朽壊し、さらには自然発火の危険性もある厄介な代物である。大学の先生に確認したところやはり慎重な回答があったようで、石原さんはかなり神経質になっていた。それはそうだろう。万一ネガを損傷するようなことがあれば回復のしようもなく、責任問題だけでは済まされないのだ。
 そこで急遽実証テストをすることになった。著作権者の許可を得て安井仲治のフィルムの「素抜け」部分をカットして試料とし、これを引き伸ばし機の光源の熱でどう変化するか観察した。さらに、別ルートで入手した硝酸セルロースフィルムを通常の集散光式と完全散光式(冷光源)の二種類の引き伸ばし機にかけて、それぞれのフィルム面温度の経時変化を実測した。これらの観察と実験の結果、特に発熱量の少ない冷光源で専用の引き伸ばし機を組み立てれば安全に作業ができる見通しがついた。

 さて、これで物理的な準備は整ったことになる。
季節は夏。猛暑だった。原版を預かっている間、エアコンは24時間まわしっぱなしだった。



安井仲治展制作記ー1 2009年2月22日 | 安井仲治展


 いつも通りのありふれた午後、一本の電話が始まりだった。
「プリントの相談をしたいので、いままでにした仕事のプリントサンプルを持ってすぐに来てほしい」電話の主は松濤美術館の光田さんだった。幸い当時の勤務先から美術館までは歩いて15分程なので、大急ぎでプレゼンテーションの準備をしてすぐに出かける。到着すると共同通信の石原さんもいて、何となく緊張した雰囲気だ。お話しの内容は、安井仲治の回顧展にあたってニュープリントを制作したい、ということだった。ただ、あるプロラボに相談したら「古いネガなので、良いプリントはできない」と言われたそうで、それでなんとなく張りつめた雰囲気だったようだ。私に課せられた課題は、のっけから明白なものになった。ネガが古かろうがそんなことには関係なく、安井仲治の最高の展示プリントを作るということだ。面白いではないか。こんな魅力的な話を「できない」と一言で片付けてしまうのは理解できなかったが、とにかく話は私のところに持ち込まれたのだった。これをやらずに他の何をやろうというのだろう。ここまでほんの数時間。話はいきなりはじまったのだった。




   

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